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Fuct ファクト

Erik Brunetti・エリック・ブルネティ インタビュー

1991年のLA。グラフィティ出身のアーティスト、エリック・ブルネティによってスタートしたFUCTは、その毒のあるユーモアと様々なカルチャーがたっぷり詰まった衝撃的なグラフィックによって、当時始まったばかりのストリート・ファッションの世界をリードするブランドとして、一躍注目を浴びた。映画『猿の惑星』に、ベトナム戦争、ロックンロール・アイコン……その目の付けどころは誰よりも早く、また切り口は鋭かった。一時休止していたものの、再始動後は、さらなるクオリティに対するこだわりを持ったアメリカン・ヘリテージ・ブランドとして進化している。LAのダウンタウンにエリックを訪ねて、話を聞いた。

 

photo: Yoshiki Suzuki

大野これまでの経歴を簡単に教えてくれる?

エリック俺は、元々ニューヨーク近郊でバイク・メッセンジャーをやっていた。それと同時に、'80年代に入ってからグラフィティも手掛けるようになったんだ。NYやフィラデルフィアではよくボムしていたよ。

大野カリフォルニアに移ったのはいつ頃?

エリック'80年代後半だね。

大野当時からストリート・ファッションの仕事をしていたの?

エリックイヤ、あの当時は、まだストリート・ファッション業界自体が存在していなかったから。STUSSYがTシャツを作り始めたばかりの頃で、俺はスケートボードのグラフィックを制作する仕事をしていたんだ。ワールド・インダストリーズを中心に、南カリフォルニアにあったスケートボード会社とはほとんど仕事をしたね。

大野アパレルのグラフィックを手掛けるようになったきっかけは?

エリックワールド・インダストリーズにいたノーティスっていうライダーが「One On One」っていうブランドをやっていて。そのグラフィックを手伝ったのがきっかけかな。FUCTのアイデアもこの頃に思い付いて、独立したブランドとして立ち上げることにしたんだ。

大野'90年代初期って、周りにはどんなブランドがあったの?

エリックXLARGE、STUSSY、FRESHJIVE、HAZE、日本ではHYSTERIC GLAMOURだね。

大野当時からFUCTは、強力なグラフィックで知られていたわけだけど。

エリックそうだね。FUCTはある意味、ストリート・ブランドの先駆けだったと思う。特にグラフィックに関しては、いろんなアイデアを提供し続けたし、良いお手本になったんじゃないかな。残念なことに、FUCTはストリート・ブランドが絶頂期を迎えていた'90年代後半には一度撤退しているから、ほとんどの人はFUCTがオリジナル・ストリート・ブランドの一つだっていうことを知らないんだ。

大野FUCTは、どういったアイデアを元に立ち上がったの?

エリック周りとは全く違う、自分の中にある破壊的な発想をファッションを通して打ち出したかったんだ。俺がワールド・インダストリーズで手掛けていたグラフィックとは正反対の、アナーキーかつダークでニヒルな感じのものをね。

大野当時アメリカ国内ではどういった経緯でFUCTは広がっていったの?

エリック一番のきっかけは、ジェイムス・ジャビア(UNION、SUPREMEのファウンダー)との出会いかな。ジェイムスは、FUCTが独立する前、ワールド・インダストリーズの傘下にあった当時から注目してくれていたんだ。それで俺が独立すると、「直接取引をしたい」って連絡をくれて。ジェイムスは流行の波を先読みできる有能なバイヤーなんだ。そこで彼のところにFUCTのアイテムを卸すことを承諾し、NYのUNIONで初めてFUCTが取り扱われるようになったんだ。そこから話はトントン拍子で進んで、ロンドンのSLAM CITY SKATESとの取引も始まり、「iD」や「DAZED AND CONFUSED」といった雑誌でも大きく掲載されるようになったんだ。

大野まさしく、ストリート・ブランド・シーンの誕生だね。

エリックそうだね。それまでそれぞれが他方面で仕事をしていたんだけど、これをきっかけにみんなの考えてることが一つになっていった感じがあった。俺はスケート・シーンからさらに広い世界を見てみたかったし、ワールド・インダストリーズから独立してからは、別のシーンで勝負をしたかったから。

大野勝負をするに当たっての自信はあったの?

エリック当時のスケート・シーンは、専門分野を得意とする人間は多かったんだけど、他のバックグラウンドを持ったクリエイターはあまり存在していなかったんだ。その点、俺にはスケート以外にも、グラフィティやパンク・ロックのバックグランドがあったから、すべての要素を一つのパッケージに仕立てるアイデアがあった。今となっては当たり前のことかも知れないけど、当時はとても斬新なアイデアだったんだよ。

大野独立した当初、パロディーものも多かったけれど、大きなトラブルに巻き込まれたことなどは?

エリックこれといったトラブルはなかったかな。パロディーものなんかにしても、俺らがやっていた当時は、周りでそんなことをするブランドなんてなかったから、著作権上目を付けられることもなかったし。趣味の悪いジョーク程度で済まされていたからね。

大野その後、FUCTを再始動するに当たって、何か新しいテーマやアイデアはあったの?

エリックイヤ、基本的なことは全く変わっていないよ。だからこそ、FUCTはこの20年間やってこれたんだと思う。これは、俺自身が自らの信念を変えずに今日までやってきたってことにもつながるんだ。一つのシーンに固執しない、グラフィック界のリック・ルービン(デフ・ジャムの創設者にして、スレイヤー、レッド・ホット・チリ・ペッパーズなどを手掛ける音楽プロデューサー)とでも言うのかな(笑)。

 
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